車いすラグビーの倉橋香衣選手は、大学生の頃にトランポリンの練習中に着地を失敗して頭から落下しました。
この事故により胸から下が動かなくなったといいます。
手術後は車椅子生活になることを覚悟したようですが、「生きているだけラッキー」だと思ったといいます。
普通は突然下半身が動かなくなったら、絶望に襲われ塞ぎ込みますが…
前向きな性格をしていますね。
リハビリをしていたときに、車いすラグビーに出会いました。
リハビリの一環として始めた車いすラグビーですが、車椅子同士のぶつかる音が心地よく徐々にハマっていったといいます。
この記事のポイント
- 倉橋香衣の成績
- 結婚や好きなタイプは?
- 大学生時代のトランポリン事故
- 車いすラグビー
倉橋香衣の成績
車いすラグビーを始めてからの成績をまとめています。
2014年から始めた車椅子ラグビーでメキメキと才能を発揮しています。
2018年、世界選手権で優勝
2021年、日本代表選手としてアジア・オセアニアチャンピオンシップに出場して優勝
2021年、東京パラリンピックで銅メダルを獲得
2024年、パリパラリンピックでは金メダルを獲得しました。
アメリカを48対41でやぶり、史上初の金メダルを獲得しています。
ラグビー大国のアメリカを倒したことで、一気に世界に名前がとどろきました。
結婚や好きなタイプについて
倉橋香衣選手は結婚はしてはいないものの、好きなタイプの男性については語っています。
「一緒にいて楽しい人」と答えていますが、彼氏がいるかどうかは非公開になっています。
大学生時代のトランポリン事故
倉橋香衣選手は小学1年生の頃から体操を始め、大学生になるまで続けていました。
トランポリンに挑戦したのは大学生になってからだといいます。
そこで事故が起きてしまいました。
2011年、大学3年生の頃です。
全日本選手権に向けた公式練習中に、着地に失敗して頭から落下しました。
救急車が到着した頃には手足を全く動かすことができず、病院で意識が戻った頃には胸から下が動かなかったといいます。
しかし、意識が戻ったときは「生きていることが幸運だ」と感じたといいます。
下半身が動かなくなって車椅子生活になったのに、前向きな考え方ができたのはすごいです。
大学時代は教師になりたかった
倉橋香衣選手は教師になりたいと思っていて、文教大学の教育学部に通っていました。
事故後は辛いリハビリの中、仲間の支えもあり大学に復学することもできたといいます。
中学と高校の体育教師の教員免許も取得していましたが、やはり車椅子での教師採用は難しいのか、別の形で教育に関わるようにしているといいます。
講演活動などを通じて障害者スポーツにについての理解を深める活動を始めています。
金メダリストの言葉なら説得力も高いし、みんな耳を傾けてくれるはずなので頑張ってほしいですね。
車いすラグビーとの出会い
【車いすラグビー動画♿️🏉】
— RKUグレース/女子ラグビー (@RKUGRACE) March 19, 2023
先日HERSプロジェクトの一環として開催された車いすラグビー体験会の様子をお届け🏉🎥
車いすラグビー日本代表の倉橋香衣さん、三阪洋行さんのご指導のもと、
RKUグレースも小学生や中学生と一緒に体験させていただきました🫶
ありがとうございました! pic.twitter.com/QgFjw0pUAK
車いすラグビーとは事故後のリハビリ中に出会ったといいます。
リハビリを初めて3年。
リハビリの一環として、いろんなスポーツに取り組んでいったといいます。
その時に車いすラグビーに出会い、楽しさに魅了され、競技として始めることにしました。
「車いす同士がぶつかる音が気持ちよかった」
倉橋選手はこう語っており、タックルも許されてぶつかる音も気持ちいこの競技にハマっていったといいます。
アグレッシブですね!
4年の練習で世界選手権に出場するまでの実力になり、その3年後には日本代表選手になっています。
大学時代に倉橋香衣はトランポリン事故で車いすラグビーのまとめ
倉橋香衣選手は小学校から大学まで体操をやっています。
トランポリンは大学から始めた競技で、このとき事故がおこりました。
着地に失敗し、頚椎を損傷して胸から下が麻痺したため車椅子生活になりました。
リハビリ中に車椅子ラグビーに出会い、ハマっていたっといいます。
車いすラグビーでは女性初の日本代表選手となり、パリパラリンピックで金メダルを獲得しています。